田舎のお盆

お盆が終わりましたね。

今年はお盆直前に3連休があったため、3連休がピークで忙しかったです。

今回は、我が家のお盆についてご紹介します。
田舎のお盆はどんな雰囲気なのか、気になる方はぜひ読んでください。

我が家について

我が家は、というよりも義実家は本家です。

田舎の本家といえば、私の結婚前のイメージは、

・長男至上主義
・嫁は労働力
・長男は義両親と同居

といった感じでした。

間違ってはいません。
しかし、義両親やその周りは

「今どきないわ~」

と、私たちにその風習を強要しません。

実際、夫は長男ですが、同居はせずに自分たちで家を建てました。
(義祖父は自分が死んだあと、義両親と私たちは同居するものと思っています)

えーこは第1子ですが、大変かわいがってもらっています。
その後びーおが生まれましたが、男を生めというプレッシャーは感じたことないです。
(びーおが生まれたとき、義祖父には「墓の心配はなくなった」とは言われました)

義両親からは、「介護はしなくて良い。近くの施設に入れて」と言われています。
(義両親は義祖父の介護をしております)

義両親の時代は、まさに先ほどのイメージそのままで、同居しなければ悪いウワサをたてられることもあったようです。

しかし、まだ旧時代的な方もいますが、私の周りは義両親をはじめ、田舎の風習を押しつけてこないので、大変助かっています。

3連休の過ごし方

我が家の3連休の過ごし方です。

11日
この日は、札幌に帰省している弟に会い、一緒に両親のお墓参りに行く予定でした。
しかし、えーこがグッタリしているので延期。
お昼頃に復活したため(たぶん低血糖だった)、義実家のお墓参りを早めに済ませることにしました。

12日
えーこが何ともなかったので、両親のお墓参りをしに札幌へ。
実家のお墓は納骨堂なので、この日は暑かったですが、中はヒンヤリ。
夕方は、義妹家族が帰省するので、義実家で夕食&花火。
びーおと義妹の子(びーおと同じ年)は花火ははじめてなので、怖がって泣いていました。

13日
昼に夫の親戚が義実家に来襲。
帰ったあとは、自宅に戻り家族にみんなで昼寝しました。

本家のおもてなし

先ほども書いたように、13日に夫の親戚が義実家にやって参りました。
訪れたのは、6人。

義実家が墓と仏壇を管理しているため、義叔父・義叔母は義実家に帰省します。

しかし、毎年 アポイントメントがない!

ある日突然やってきます。

今年は、義母が前日に電話し、話の流れで

「明日10:30に家出るから。4人で行く」

と告げられたそうです。(義実家までは約1時間)

私はそれを12日の夕方、義妹に会いに行った際に告げられました。

おみやげたくさん買ってきた私、グッジョブ!

「1人で準備できるから、お昼頃おいで」

という義母の言葉に甘え、びーおにご飯を食べさせてから出発し、11:30頃到着。

しかし、まだ親戚は来ていません。

先に昼食を食べておくことにし、えーこに食べさせている間に親戚到着。
時間は12時過ぎ。

義父の兄とその妻と子(夫のいとこ)と義父の姉が来ました。

えーこが食べているのをびーおがちょっかいを出すので、私は離れられず。
義母と義妹が親戚の昼食をテーブルに並べていきます。

夫は別室でタブレットいじってます。

そのとき、ノーアポで義いとこ夫婦が来ました。

お寿司を多めに用意していた義母の勝ちです。

人見知りのえーこは食事もそこそこに夫のところへ避難。
私はびーおと共に親戚に囲まれ、抜け出せなくなりました。

せっせと働く義母と義妹。

申し訳ない・・・。

人見知りのしないびーおの抱っこ合戦になってから私は抜けだし、食べたお皿をまとめたりビールを追加したりと働き始めました。

義妹は、義妹夫の実家に行くため、12:30頃に出発。
義妹夫も長男のため、お盆の間は義妹夫の実家で過ごすようです。

昨日買ってきたスイーツも出しましたが、酒のつまみにはならなかったのか、手をつけられることなく放置。

14時頃に墓参りし、そのまま帰りました。

酒は片付け、手をつけられなかったスイーツを義母と食べながら休憩。

「ユーハイム」の抹茶バウムクーヘンがおいしかったです。

お皿を片付けたあと、私たちも帰宅しました。

まとめ

近所を見ていると、やはり3連休は車がなかったり、逆に大量の車が停まっていて道路にはみ出しまったり、それぞれ帰省していることがうかがえます。

そこで問われるのは、本家の嫁の裁量です。

義母のように、いつ来ても良いようにいつでも仕事を休める準備をし、食事をすぐに大量に準備する技術が必要です。

ハッキリ言います。

私にはムリ

慣れだと言われますが、私はアポなしで来た人をもてなす器用さがありません。
というか、アポなしというのが私の生い立ちの中になかったので、未だに慣れません。

救いなのは、義いとこの多数やその子たちは、日高を故郷だと思っていません。

義祖父が律儀に毎年電話かけ、来るように催促します。
だから、毎年人がバラバラとやってくるのです。

おそらく、夫の代になれば、お盆にこうやって訪れる親戚は減るでしょう。
減ってほしい。

それまでは、田舎の本家の、しかも長男に嫁いだ者の運命だと思ってガンバルとします。

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